沿革

1920年(大正9年)2月

初代 加藤喜一郎が現在地に「丸武加藤織布工場」を創業し、小巾の「岡木綿」の製造を始める。

1928年(昭和3年)

織機を広巾に切り替え、「サロン」及び「ギンガム」を製造し、南方向け輸出を始める。

1934年(昭和11年)

諸外国の日本に対する経済封鎖が強まり、内地向けタオル部を増設。

1943年(昭和18年)

大東亜戦争に伴い、織機を軍に供出、休業するとともに海軍軍需部の乾燥野菜の製造を始める。

1945年(昭和20年)

前年12月7日の東南海地震により工場倒壊した為、2代目加藤 寛により、工場の再建。

1948年(昭和23年)

「加藤タオル工場」として操業始まる。当初タオル織機6台、準備機、仕上ミシン他一式にて再開。その後逐次増設。

1950年(昭和25年)

「別珍、コール天」部を新設。

1952年(昭和27年)

捺染タオル部を設置、同時に磐田市二之宮に晒工場を新設。仙台からの丁稚奉公の受け入れ。

1954年(昭和29年)

ジャカード機を導入し、輸出タオルに重点を移す。

1967年(昭和42年)

9月4日 加藤タオル株式会社設立、加藤 寛 代表取締役就任。

1972年(昭和47年)

全織機の自動化が完了する。全織機56台。東京に販売営業所を開設。百貨店向けタオルの製造。

1987年(昭和62年)

11月26日 3代目加藤 友範 代表取締役就任。

1989年(平成元年)

革新的な織機の導入により、通常生産において日産12,000枚~15,000枚の生産能力を確保し、順調に推移。

1993年(平成5年)~96年

電子ジャカード4台導入。

1999年(平成11年)

最大の得意先の廃業及び主力外注加工場の閉鎖他の要因が重なり、当社の生産規模の縮小並びに生産商品の変更を余儀なくされる。

2001年(平成13年)

余剰設備の売却を実施。同時に第2工場の一部設備を第1工場へ集約。最新鋭の設備のみ残す。従来のブランド商品の製造から素材重視の商品への転換を図る。

2014年(平成26年)

ジャカード搭載、最新鋭高速エアージェット織機を導入。さらに12月、高速エアージェット織機を3台導入。

2015年(平成27年)

ドビー機搭載、最新鋭高速エアージェット織機を導入。オリジナル商品拡充とともに、インターネットストアを開設。

2016年(平成28年)

ドビー機搭載最新鋭高速エアージェット織機を導入。SBSラジオスクーピー出演。

2017年(平成29年)

委託販売店数を増店。イベントへの参加販売。展示会参加。レピアジャガード織機を4台導入。

2021年(令和3年)

オリジナル商品拡充。ふるさと納税返礼品、インスタグラム、フェイスブックなどSNS発信。K-MIXモーニングラジラ出演。自社ホームページ作成。自社ブランド化へ